Chapter 3 3rd LEGACY 「レガシィを極める」ことへの挑戦 3代目レガシィ
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ブームが収束にむかうなか、これから進むべき道はどこにあるのか。
スバルが選んだのは、さらなる熟成だった。それもただの熟成ではなく、
クルマとしての価値を極限にまで高め、時代に流されない本物を目指した。
B4の誕生によりスポーツセダンの存在感を示したことも特筆すべき点だ。
 

 
「レガシィを極める」ことへの挑戦

 ブランドとは歴史の上に成り立つものである。本物のブランドは世の中の変化に流されない。しかし、流れに惑わされることなく、信念を貫き通すことは生易しいことではない。
LEGACY image03 3代目レガシィの開発責任者となった桂田勝が目指したのは、レガシィを本物のブランドにすることだった。
 そのためには「信ずることをやり続ける」ことしかないと考えた。レガシィの本質を突き詰め、これまで続けてきたことをきちんとやり続ける。つまり、「レガシィを極める」これが桂田が提唱した3代目レガシィのコンセプトとなった。

チームの意志をひとつに
 プロジェクトチームの立ち上げにあたって桂田が最初に行ったのは、メンバーの意思統一だった。招集されたばかりのチームのメンバーは、意識も考え方も異なっていた。
「気持ちを束ねるために、チームで世界の主要道路を走りに行った。ヨーロッパとアメリカを40日近くかけて走りぬいた。チームを束ねるためには、みんなが一緒になって同じことを考えるのがいい」
 毎日、朝から晩まで交代しながら走り続けた。参考にすべきクルマと2代目レガシィとを乗り比べ、3代目レガシィとはいかにあるべきかを考えた。
 40日後、各国を走りぬいて帰国したメンバーの意志は、桂田の掲げた「レガシィを極める」という旗の下、ひとつになっていた。

安全と走リの愉しさを追求
 次に桂田が取り組んだのは「安全」と「走りの愉しさ」の追求だった。
 初代からレガシィは「安心感に包まれた走りの愉しさ」を目指してきた。「安全」と「走りの愉しさ」は、レガシィというクルマを極めるために、どちらも必要不可欠な要素であった。
 なかでも3代目レガシィでは、安全性を高めることにこだわった。
 衝突安全性に優れたボディ、危険回避性能の高いシャシー、視界設定に優れたパッケージングなど、すべての面で安全性を追求した。運転する人が、自分の乗っているクルマがあらゆる面で安全だと信頼できることが大切だ、と考えたからだ。

進化のための新たな挑戦
 3代目レガシィの性能のとりまとめを担当した日月丈志は語る。
 「走りの性能によりワゴンブームに火をつけた2代目レガシィだったが、荷室というワゴンの本質的な部分については、欧州のワゴンと比べると及ばないところがあった。まだ本物といえるつくりにはなっていなかった。本物のワゴンの荷室をつくらなければ『キング・オブ・ワゴン』とはいえない。3代目レガシィでは本物のワゴンにすることを目指した」

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「これをやらないと負けます」という桂田の言葉に、 誰もがうなずいたのだ

 また桂田は荷室スペースを最大限にとり、なおかつドライバーに荷室の存在を感じさせない走行性能、これを生むためにはリヤサスペンションを一新することが必要だと考えていた。
 従来のストラット式リヤサスペンションは2代目レガシィまでに完成の域に達しており、さらなる進化のためには新しい挑戦が必要だった。ワゴンにとって完壁なリヤサスペンションとは何か。検討を重ねた結果、マルチリンクに行き着いた。
 マルチリンク化はプラットフォームを新開発するほどの大きな挑戦だった。すでに自動車業界では合理化のためにプラットフォームの統合が進んでおり、スバルが選んだ道はこれに逆行するものだった。しかし、不思議なことに反対するものは一人もいなかった。「これをやらないと負けます」という桂田の言葉に、誰も がうなずいたのだ。
 いいクルマをつくるために、必要なことは何でもやる。 これはスバルがクルマづくりを始めたころからの伝統であった。

セダン復権への挑戦 ――― B4誕生
 先に難しいワゴンをきちんとつくり込んだ上で、セダンの発売時期をずらし、存在感を出す。これが3代目レガシイ開発に際して桂田の下した決断だった。「普通のセダンは絶対につくらない。つくるのはスポーツカーだ」と宣言した。
 エンジンは2.0リッターDOHCのターボとNAの2種類のみとし、スポーツグレードに絞ることにした。セダンの存在感を強く打ち出すために、イメージを明確にする狙いがあったからだ。桂田の号令の下、すべてを「走り」に集約したクルマづくりが行なわれた。
LEGACY image05 サスペンションは専用開発となった。走りの評価を担当した渋谷真は「足回りについては最初からワゴンの流用など考えていなかった。セダンのためのテストを繰り返し行なった。ダンパーメーカーの技術者にも来てもらい、何日もかけて徹底的に研究した」と語っている。
 後の試乗会でジャーナリストに「なぜそこまでやるのか」と問われ、渋谷はさも当然とばかりに「そのほうがスポーツのイメージに合っているから」と答えたという。
 理想のためには妥協を排して徹底的にやりぬく。スバル360以来受け継がれてきた、スバルのクルマづくりの思想がここにも発揮されている。

「BOXER 6」の誕生
 エンジン単体で見れば理想的な水平対向6気筒エンジンも、これまでの技術では、4気筒に比べて大型化し、重量増を招くという難題を抱えていた。「4気筒エンジンに2気筒足して6気筒にした場合、4気筒と同じハンドリング性能を実現するためには、ボディを拡幅して、タイヤを2ランク上のものにする必要がある。そうなると、もはやレガシィではなくなる」と桂田は言った。
 しかし、水平対向エンジンの理想型である6気筒をレガシィに搭載することは、桂田にとって夢であった。
 その後、エンジン開発部隊の並々ならぬ努力の結果、エンジン全長を4気筒のわずか20ミリ増に押さえた、コンパクトな水平対向6気筒エンジンが開発され、レガシィに搭載された。
 そこで生まれたのがランカスター6である。さらに、ツーリングワゴンGT30、B4 RS30をデビューさせた。パワーが力強く盛り上がる2.0リッターターボとは対照的な、スムーズで自然なフィーリング。それはまさに、レガシィの世界に新たな魅力を加えるものであった。

 3代目レガシィが残した、現在に受け継がれる価値 

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ひとつのことをやリ続ける信念
「あそこできちんと本質を追求したからこそ、現在のレガシィの評価がある」と桂田は3代目レガシィを振り返った。同じことをやり続けるからこそ、ブランドとなる。現在レガシィが評価されているのも、それまでに愚直なまでに本質を追求してきたからだと言っても過言ではない。

解析よりも感性を重視する走りのチューニング
もとより技術者の感性を重視した開発が行なわれてきたが、どちらかといえば性能の追求に重点が置かれていた。「愉しさ」「気持ちよさ」といった感性が重視され、それが最終決定の根拠となる。今も続く「感性のクルマづくり」が確立したのは3代目レガシィのBMCからだ。

 
LEGACY image07 日月 丈志 (たちもり たけし)
1977年人社。車体設計、先行技術開発、コンセプトカー開発、米国販売会社駐在、研究実験など、幅広い分野を経験。3代目レガシィでは性能のとりまとめを担当。
LEGACY image08 渋谷 真 (しぶや まこと)
1974年人社。操縦安定牲、乗り心地、ドライバビリティなどの研究実験畑を歩む。モータースポーツでは全日本ダートトライアルやラり一で活躍した経験を持つ。3代目レガシイでは走行性能のとりまとめを担当した。
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